結婚のリアル
結婚経験者である私から見ると、独身であるからこそできること、幸せなことは山ほどある。
結婚=幸せというのは幻想であり、夢でしかないのではないのかな、と。
結婚というのは辛いこと半分、楽しいこと半分。
責任の重さがとんでもなく重くて、逃げ出したくなることなんて何度も何度もある。
結婚=幸せ、楽しい日々というのは現実にはそうではない。
のしかかる責任と身動きのとれない圧迫感は、想像以上。
そこを乗り越えるのは並大抵ではない。
好きなことをできなくなる覚悟。
身を固める覚悟はとんでもなく重い。
そこはやはり熟考する必要がある。
独身が惨めで可哀想というのも幻想。
一般的に、とか世間とか、そういうプレッシャーがあるのもわかる。
私自身が微妙な年齢で、プレッシャーはひしひしと感じる。
結婚しなくても幸せになれる道がこれからたくさんできていけばいいなと思う。
例えばフランスのPACS制度とかね。
結婚にこだわらすパートナーがいるということがこれからは重要視されても良いのではないのかなと思う今日はこの頃。
結婚制度は明治から変わっておらず、いまの時代にそぐわないと感じる。
結婚という家と家の制度で息苦しくなり、破綻する夫婦は多い。
もちろん仲良くやっている夫婦もいるけれど、そういう制度に合わない人々の居場所もあって良いと思う。
私は元夫と復縁するかという微妙な立場であって、なかなか答えが見つからない。
ただ、結婚が人を大人として成長させてくれるものであることは間違いないかな。
なんにせよ、色々な道に寛容になる社会になってほしい。
きかせて
どこに落ちるか分からないから
太陽と夜が混じり
どこにいくのかわからないから
だから
その音だけ聴かせて
リンクがかっこ悪いw
前記事のリンク、なんで上手く貼れないんだろう。
あれ恥ずかしすぎる…。
暴れる子供
新卒で就職した保育園で、自分の感情を上手く表現できない男の子がいた。
ほんとは悲しいのに怒ってみたり、ほんとは泣きたいのに暴れてみたり。
わたしは赤ちゃんクラスの担任だった為、週に一度幼児クラスにヘルプに行く以外で関わることはなかった。
わたしには彼の気持ちが痛いほど分かって。
ねえほんとうは違うよねっていつも心の中で思っていた。
泣きたいのに泣けないんだよね。
悲しいのに、悲しいっていえないんだよね。
さみしいって、いえないんだよね。
そんな切なさと愛しさでいつも彼を見つめていた。
教育者や親に必要なのは、主導することのみではない。
子供と同じ目線や段階に降りて、共感と理解を示すことで一気に子供が変わることがある。
幼児クラスにはいったとき、友達と上手くいかなかったその子がキレて暴れたことがあった。
彼は泣きながら怒っていた。
私はそのとき、ああ、チャンスだな、この子の心に触れられる。
そんな一心で
抱きしめて「たくさん泣いていいんだよ」と伝えたことがあったっけ。
彼は堰を切ったようにたくさん泣いて、私を抱きしめ返してくれた。
その日から彼は私に素直な感情を見せてくれるようになった。
幼児クラスにいったとき、我先にと駆け寄って、抱きしめてくれた。
笑ってくれた。
泣いてくれた。
キスしてくれたこともあったな。
怒ったり、暴れたり、問題と言われる行動をとる子供の気持ちの裏には何があるんだろう。
私はそんなことばかり考えていて。
そのためには、どうしても1対1の関わりが長時間必要だった。
だから大人数を一気に見る保育に違和感を感じたんだ。
きれい事抜きで言えば、そんな関わりに疲れたこともあった。
先生だって、人間だもん。
先生だって、労働者だもん。
そんなふうに思っては涙が出そうな時もたくさんあった。
それでもやっぱり
子供って、頭にくることもなにもかも含めて
命かけてもいいって思わせてくれる瞬間がある
それは100回のうち1回かもしれない
でも、そんな瞬間は何者にも代えがたく思えたりもする
まあ、私は弱い人間なんですけどね。
わびさびってこういうことかと
好きなことを実現させる人も、大切な人のために辛い仕事を頑張る人も、どちらもかっこいいと思う。
例えば
大切な人を守る為に自分の髪はぼさぼさ、手はシワシワ。
服はよれよれ。
そんなところに途方もない、涙が出るほどの美しさを感じる。
さみしさ、つらさ、孤独、さびること
一見綺麗じゃない、そういうものの中に繊細な美しさを見いだす日本的な感覚、大好き。