自分勝手

躁になって様々やらかしたことによって、だいぶ自分の能力が落ちたように思う。

だけど、生きるのは気楽になった。

散々人に迷惑かけて、自分も死にたいほど苦しんだ。

そこを乗り越えて、なんとか少しずつ生活を立て直してる。

文章書くときは、何か衝動的なものがあって、それを表現したくて少しワクワクして。

いっときそこから離れるとその衝動が消えてしまう。

今そんな感じで、あれ?何を書きたかったんだっけ?ってなってる。

そうそう最初の結婚のとき

私は「女」であるから家事育児やらなければという重圧に潰されて、かなりだめになった。

鬱々としていて、イライラしていて、それって当時の自分が望む生き方ではなかったんだろうね。

そこに気がつけなかった。

虐待と抑圧を受けて育つと、自分の感情がわからなくなるんですよ。

何を望んでいるのか、何をしたいのか、何が好きなのか、何が嫌いなのか、何もわからなくなる。

そんな中、望まれてした結婚。

結婚で楽しいばかりではなく、重圧と抑圧とストレスで大変。

そこに適応できるほど私は大人じゃなかった。

本当に望んでたのは、対等に仕事して対等に家事育児をする関係。

多分そうなんだろうな。

アダルトチルドレンな自分は、自分の望みを持つこと自体に恐怖を感じるし、どうせ叶わないよ、という学習性無力感に苛まれるわけで。

そこを克服するのって、普通の人の何百倍と難しい。

こんなブログ書いてると、悲劇のヒロインぶるなよって思う人出てくると思う。

そう思われるかなーと不安もあったし、なんだかなーとしっくりこなかったりもした。

でも、リアルで毒が吐かないために、リアルで辛い顔人に見せて迷惑かけないために。

この場所はわたしにとって必要。




小さな手のひら伸ばして空を仰いでは泣いた



Coccoの歌詞の一部引用だけど、
そんな幼い頃の私を救いたい気持ちがいまはすごくある。

見ないふり気づかないふりはもうしたくない。

じゃないと私は親しい人、愛する人に向かって攻撃してしまうだろう。
もちろん自分にも。

もしかして、将来生まれる子供にも。

そうやって、抑圧から毒親は生まれるんだと思う。

そんな恐怖と、本当の自分を知っていく作業。

これはずっと続けたい

いつか歌詞になんてできたらいいよなぁ

なんて思う